あなたはどちらですか?勝者か学習者か?

うまくできたはずのにスピーチコンテストで3位と発表されたら非常に衝撃を受けるでしょう。私にもこの様な経験があります。残りの席を取った二人はノンネイティブでした。控えめにいうとかなりイライラする出来事です。気持ちをどの様に整えるべきでしょうか?

最も明確な選択は皮肉です。非難や不満はいくらでもできます。「有能な審査員を揃えたな」「英語の理解力が高いな」「審査基準を理解しているの?」「風邪を引いて声が出なかった」「聴衆の反応が良かったのに」これらの不満、非難することから何が得られるでしょうか?何もないです。私には別の選択があります。私は敗者である事を選ばず、学習者である事を選びます。

日本のトーストマスターズは、コンテストシーズンです。多くの人がコンテストに参加し、彼らの話を知る良い季節です。他のコンテストと同じ様に、頂点をとるのは、1人だけです。全国大会の勝者は勿論1人だけです。それでは、残りの何百人は、敗者でしょうか?いいえ、実際はそうではありません。

因みに、コンテストに参加しない大きな理由の1つは、敗者のように見られる恐れです。敗者は、先程の例に挙げた外的な力を非難する人です。その人は外的な力を非難し、自分を変えようと思っていないのです。敗者は、自分のパフォーマンスを振り返りしないです。何らかの振り返りをして、次回への挑戦の教訓とする人は、敗者でないと私は思います。

そういうわけで私はコンテストで勝てなくても、学ぶ可能性が十分にあると考えています。私が勝つと、私が今までやった事の成果を証明してくれます。とても肯定的なフィードバックとなります。さらになぜ私が勝ったのか検証すると、さらに得るものが多くなります。それでも頂点は取れなかった。検証方法が間違っているのかを考え、修正する方法を理解すれば良いでしょう。

私たちの多くは、初めから素晴らしいスピーカーではありません。皆さんは最初から自転車に乗れましたか。自転車の場合、先ずは大人の手を借りてバランス感覚を身体で覚えていく。大人が手を離すと転ぶ。その繰り返しです。自転車に乗るのは向いてないとか、恐ろしい事故に遭ったので乗るのをやめる人は少ないと思います。私自身は、まず頭をぶつけて、膝を何度も擦った事はありました。これは子供の時ではなく、大人になって自転車でビンディンペダルを使って練習した時でした。諦めずに私は自分自身を傷つけずに簡単に乗り降りする方法をやっと習得しました。

しかし、スピーチは自転車よりもより複雑です。原稿を忘れてしまったり、滑ってしまったり、「いける!!」と思ったのに入賞できなかったりとか。そのような場合に、気持ちがスピーチと向き合えないかもしれません。しかし、それで本当によいですか?

前に進みましょう。前に進む人は学習者です。彼らは置かれている環境を他人のせいにしません。彼らは何が起こったのか、なぜ成功しなかったのか分析し、どうすればうまくいくのか新しい仮説に取り組みます。

2回目の試行はうまくいかないかもしれません。最初と同じくらい大きな失敗となるかもしれません。しかし、step by stepで前に進みながら間違いを減らしていくことはできます。

しかし、自分だけで全てをするには、非常に時間がかかります。私は多くの本を読んでいます。多くの優秀な人の考えを取り入れると、自分一人だけ考えるよりはるかに早く前に進めます。私は単純な読書はしません。ノートを取ったり、書いた内容を自分の言葉にしたり、内容をどうやって行動にするかも考えたりします。

また、できるだけ多くの人からのフィードバックを得ようとしています。 トーストマスターズは、例会中にスピーチのフィードバックを得る事ができます。早く前に進みたいなら、専門家へ聞く方法もあります。スピーチではなくても、自分の仕事についてどのようなことを考えているのか、それを改善するために何ができるのかを人々に尋ねることは良いことだと思っています。

但し、時に助言で傷つくことがあります。時には助言の根拠が分からない時もあります。時には、助言の意味が経時的にじわじわと理解する事もあります。それらは、人生でよくあることですが、一つ一つ私達を成長させてくれます。

多くの人は、どんなコンテストでも勝者や敗者がいると思っています。私は同意しかねます。後向きの人がいるならば、その人は敗者となるかもしれません。しかし、ほとんどの場合、勝者と学習者だけです。勝者はある場面で勝ちました。学習者は家に戻ってパフォーマンスを振り返り皆さん、うまくなれるどうすれば良いか考え、訓練にて能力を伸ばして、またコンテストに挑戦します。最終的に勝ちます。ある意味では人生って勝つと学習の連鎖です。どちらも楽しいです。あなたは思いませんか?